Accept your feelings how foolish and weak they are.

私の、私による、私のためのブログ

前世で恐らく髪の毛と戦争でもしたのだろう

喋るように普段思ったことを書いてみる記事です。

どこに着地するのやら。

タイトルですが、ただ単に椿油を買った話です。

 

私という人間は、ほら、地球の大事な資産じゃないですか。

とても素敵な女性でしてね。性格も味わいがあって精神的に自立しています。

そんな私の髪の毛ですが、今、砂漠のようになっていまして。

多く、乾燥していて活火山のように広がり、収拾がつかないんですよ。

その状態ならびにヘアケアを怠った自分に、少しイライラしてしまったんですよね。

で、イライラするのは良くないので、自分を納得させるために作ったストーリーが以下。

「前世で山中髪の毛大戦でも私が起こしたんでしょう多分。

それで、第一次大戦の和平協議終了後に、不可侵条約を結んだにも関わらず私の側が頭皮と毛根を侵略したんでしょうよ。

だから、髪の毛が反乱するのはしょうがないよね。

現世では、私は私の髪の毛を愛して大事にしよう、愛し合おう」

 

おかげ様で、今は通常通りのご機嫌に戻っております。

私は本当にどうかしている。

 

 

 

 

痛ましいニュースを聞いて思うこと〜加害者に告ぐ〜

一言、お断りを入れておきたい。
今回は、社会構造上の課題には触れない。
感情的なことを書きたい。
断続的に、三部作の予定だ。

虐待のニュースが相次いでいる。
それ自体の件数が増えた訳ではない。
報道の件数が増えただけだろうと推測している。
人間に成りきれないヒト科の雌雄など、珍しくも何ともない。
各機関の司令塔機能の強化(権限の付与)、責任の明確化、人材の確保程度が行政の限界だ。
外観から判断しづらい形の虐待は、これからも減らないだろう。
そんなことは理解している。

ただそれでも、思うことがある。

まずは、全ての加害側の動物に告げたい。
全ての、ハラスメント愛好者に、告げたい。
「良かれと思って」が口癖の皆さま方にも、お伝えしたい。

どうせ、暴言を吐くなら、全部私に吐けばいい。
暴力についても、同様だ。
そりゃ、一時的には治療の時間が惜ししパフォーマンスが落ちるから、暴力は受けたくない。
攻撃されたら、私は気がすむまで仕返しする。
当然、あなたの財産と社会的立場に最大限のダメージを与えるまで攻撃の手を緩めない。
でもね、体がいくら傷ついたって、所詮、相手は、あんたらでしょ?
自分の非や弱点すら認められない最弱の存在。
そんなもんに、何言われたって、何されたって、私は絶対傷付かない。

あんたら、自分に自信がない弱虫なんだろう。
自分の欠点を認めることが、謝ることが怖くて仕方ないんだろう?

あんたらの言いたいことを要約してやろうか。
「私が正しいのっ!あなたのためを思ってしてるのに、何で解ってくれないの!お前は私の気に入るようにしてればいいのに、何でしてくれないのっ!それが愛でしょ?私のこと、愛してよっ!」
どうせ、老若男女問わず、こんなとこだろうよ。
「愛されたいゾンビ」とでも言ったところか。
責める気は起こらない。そういう思考回路を作り上げた幼少からの環境は気の毒だと思う。

自身のことを弱虫だと認めたくないなら、病院に行け。私の言うことが間違ってると思うなら、行けるでしょう?
「良かれと思ってやってあげてるのに、山中に非難されてます、私が正しいって証明して下さい、先生!」
って言えば良いでしょう?
でも、多分行けないでしょうね。

本当は、自分が何をしているか、わかってるんだろう?

本ブログ(書簡)の想定する提出先とその理由

提出先:

(1)過去、現在、全ての私。

想定している提出先:

(2)私の周りの自立した大人たち

 

(1)について

私は相当喋りたいことが多い。それを他人に話すには、量が多すぎる。

更に相手に時間と労力を貰ってまで話すことか否かは怪しいと思う内容ばかり。

今なら、マクドのポテトMの1本1本をメジャーで測った話を30分は喋れるが、もし仮に万が一にでも聞いてくれる人がいるならば、それはもう人ではなく仏である。

有用でないなら、捨て置けばいいのだと思う。

しかし残念ながら(もしくは幸いながら)、その思い付きは、後になってから役に立ったり、自分を元気にしたり、安らぎのヒントになったりする。

捨てられないから、拾うのだ。

よって、このブログの本質は自分との往復書簡である。

 

(2)について

(1)で述べたような自分との往復書簡であれば、「非公開の日記を書け」と自問自答するのが自然な流れだと思う。

では、なぜ私は「全世界に大声で独り言を叫ぶ」を選ぶのか。

それは、文章に服を着せたいから。

実は、日記も書いている。それはそれで必要なことだ。楽しい。有意義だ。

しかし、一つ問題がある。私の日記は汚いのだ。

自分でも具体的に説明できないのだが、「贅肉とムダ毛」が自分の文章に沢山見えてしまって、「服を着てほしい。あと、フォトショップで加工したい」という気になる。

 

文章に服を着せる、とは、文章の身だしなみを整えて、清潔で上品なおもてなしをすることだ。

自己顕示欲に満ちた文章よりは、社会性のある文章での往復書簡を書きたい、といえば伝わるだろうか。

社会性のある私であることの確認作業をしたい。そう思う。

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結論;とにかく自分のためである。

 

 

 

自己紹介に代えて(2019.1.1更新)

 私が、誰かと接するときに知りたいことは、

その人の情熱をもって語るもの、譲れないもの。誇りに思うこと。

そして、その人の、他人への接し方の方針。

それを自問自答することを以て、自己紹介に代えさせて頂きます。

 

1.私が情熱をもって語るもの。

想像力を働かせる余白が多いもの。

いわゆる勉強と呼ばれるもの。本、落語、ラジオ、能楽

重複しますが、自由度の高いもの。

書くこと、描くこと。縫うこと。料理、図ること、奏でること。

外国語含めて、身振り手振りを含めて、話すこと。つまりは作る・創ること。

 

 

2.譲れないもの。

不快を避けること。

押し付けに呑まれず、自分の責任で行動すること。

決断には、デメリットと想定外のことについても責任を取る覚悟を持つこと。

考えることを放棄しないこと。

優先順位をつけつつ、その順位は場合に応じて変えること。

 

 

3.誇りに思うこと。

幸せな教育を受けてきたこと。

自分の至らなさを認め、愛しいと思えること。

素敵な人たちに囲まれていること。

私は私を信じて愛して全力で大事にしたいと思っていて、日々改善を重ねていること。

 

4.他人への接し方の方針

質問は、出来るだけ観察し、仮説をもった上で発すること。

提案は、必ず断る余地を残すこと。

自立している人と時間を共にすること。

 

今後わたしが此処で語ることは、恐らくこの文章の各論なのではないかと思います。

もちろん、違うかもしれません。

もしご興味のある方は、お付き合い頂ければ幸いでございます。